車を所有する喜びについて考察@郵便局

交通違反の罰金を納めるために郵便局で暇な時間を過ごした。
平日に仕事を休んで払うこのシステム、マジ勘弁して欲しい。

あまりにも暇なので、携帯に車を所有する喜びについてメモ。
罰金を払うために待たされている時に書いたため、負のスパイラルが発生しているのは悪しからず。

では、どうぞ!

自分が満足している車、人に自慢できる車を所有すると喜びは大きい。

しかし、妥協して買った車を所有すると最悪である。

欲しかった車を見かけたりすると、意識してしまう。自分の車が欲しかったものではなく、妥協して買ったものだと言う事を。

高級車とか気になるのは、車を所有しているからである。
車を持たなければそもそも気にする事もない。

物を持つと、比較してしまう、全て相対的な事である。

極論すると、他人と自分の体を比較してしまうからダイエットするのである。
物理的に体が存在しない世界に生きていれば、体型など気にする事もないだろう。

バイクや車も憧れて免許を取ったが、結局満足することは無く、ストレスばかりである。
バイクは最終的に欲しかった車種を買ったが、用途別に欲しいとか新たな欲求が沸いてきて満足できなかった。
結局、転勤に伴いバイクは手放した。

盗難も怖い。
あまり無理して買うと盗難とか傷つけられる事も心配の種になる。
要するに悩みが増えるのである。

所有しなければ、悩まないし、自由である。
スノボーも一時ハマったが、所有すると心の負担になる。

装備を色々揃えたが、たまたま持参せずにレンタルとかすると、不満である。
初めから所有しなければレンタルは気にならないし、比較する事もなく心が穏やかである。

手ぶらで、自由で、ストレスフリーである。

何も持たないのが良いのかもしれない。

そういう意味で、パソコンとかもそうなるのか?
全てがレンタルで完結すれば、スペックとか関係なくなってくるし、自由である。
究極のクラウドはそんな感じなのか?

どんどん所有する事の意味が薄れて来ると、残るのは何か?
個人の経験しか残らないと思われる。

となると、同じ日常を繰り返すことが最大のリスク、最大の失敗になるのではないか?

断捨離して、身軽になって、経験を積んでいこうと思う。

ここで番号を呼ばれて罰金を納付。
車を所有する喜びから話が脱線しまくって、断捨離するとかなんとか。。。(^^;

結論は、ポケットマネーでポンと自分の満足する自慢できる(と思う)車が買えれば喜びは大きく、不安は少ないと言う事。
ポケットマネーなので、傷つけられても、盗まれてもOK!
また買えば良いもんね。

ポケットマネーで買えない場合、車無しの方が精神衛生上良いと思われる。
車無しで生活できる環境を構築する必要はあるが、どうだろうか?

以上

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